日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

カテゴリ: 聖書の学び



※大きいサイズはこちらからご覧になれます⇒救いの3つの過程(段階)

「救い」という言葉は様々な場面で用いられますが、それらが全て同じ意味内容を指すわけではありません。

多くの場合「病気が癒やされた」とか「心に平安が与えられた」とか「経済的に祝福された」などという意味合いで「救い」という言葉が用いられているようです。

ある人が「私は◯◯をして救われました」と言っても、それがキリスト教の「救い」と同じであるとことはほぼないでしょう。

キリスト教における「救い」の根源的意味は「創造主(神)との関係の回復」です。

しかし、ここで気をつけなければならないのは「救いの完成(完全な回復)」に至るまでには新生(しんせい)」「聖化(せいか)」「栄化(えいか)」という3つの過程があるということです。

ですから「救い」という言葉が出てきても、それが果たして「新生」を指しているのか「聖化」を指しているのか「栄化」を指しているのか、それら全てを指しているのか、それとも他の意味内容を指しているのか?ということを理解しながら聖書を読まないと混乱するでしょう。

たとえば、聖書を読んでいる中で、あるところではクリスチャンの「救い」はすでに達成されたように書かれているのに、あるところではまだ達成されていないかのように書かれているし、これは一体どういうことだろう?というふうにです。

「新生」「聖化」「栄化」の3つの過程(段階)における「救い」を理解すれば、このような問題もすっきり解決するかと思います。

「新生」という意味での「救い」であるならば、私たちはすでに「救われました」。これはクリスチャンにとっては過去の出来事です。

「聖化」という意味での「救い」であるならば、私たちは今「救われつつあります」。これは現在進行の出来事です。私たちは主の様々な訓練をとおして聖められつつあるのです。

「栄化」という意味での「救い」であるならば、私たちはその実現を期待して「救われます」と告白します。これは未来に起こる出来事です。

もちろん、これだけで「救い」について完全に説明できるわけではありませんが、上記図解が私たちがクリスチャンに与えられている「救い」についての理解の一助となれば幸いです。

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本日の学び会では下記の図式を用いて「創造主の人類救済計画」について学びました。



※大きいサイズはこちらからご覧になれます⇒神の救済計画

特に次の2点において、聖書的な理解を深めていただくことを念頭に置いています。

1.創造主の最終目的は「新天新地(神の国)」の創造にある

私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。(ヨハネの黙示録21章1節)

神のご計画は「天地創造」(創世記1:1)に始まり、「新天新地創造」において完成(黙示録21:1)します。

私たちが知るべきことは神の「新天新地創造」計画は「天地創造」(創1:1)以前から存在したということです。

人間の堕落が想定外の事態で、あわてた三位一体なる神が喧々諤々と協議した結果「人類救済計画」や「新天新地創造計画」を立てられたわけではないのです。

全知全能なる神の前には全てが想定内です。

神のご計画は「新天新地創造」ありきで、全てが進行しています。

「天地創造」「人間の堕落」「契約」「十字架と復活」「聖霊降臨」等、全てが「新天新地創造」のために必要不可欠なプロセスなのです。

2.クリスチャンは「新天新地」を受け継ぐように選ばれた

神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び・・・私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました・・・私たちはあらかじめこのように定められていたのです。(エペソ人への手紙1章4~11節)

上記の聖書のことばからも「新天新地創造」の計画が「天地創造」(創世記1:1)以前から存在していたこと。私たちクリスチャンは、その「新天新地」を相続すべく選ばれていたことを確認することができます。

私たちは「新天新地」の相続権を得るために「子」としての身分を授かり(ローマ8:17)

「新天新地」を相続するにふさわしい者となるべく訓練され(ヘブル12:10)

「新天新地」の栄光に耐えうるために朽ちることのないからだ(栄光のからだ)に変えられるのです(1コリント15:50)

これら全てが聖霊による働きです。だからこそ、聖霊は御国を受け継ぐことの保証なのです(エペソ1:14)。

聖霊はイエス・キリストの十字架をとおしてのみ私たちに与えられるので(使徒2:33)イエス・キリスト以外に救いはないということになります(使徒4:12)。

私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(ペテロの手紙第2 3章13節)

新天新地こそがクリスチャン生活のゴールです。

私たちは普段の信仰生活の中で「新天新地」を意識し、待望しているでしょうか?

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