中川健一師の【3分で分かる聖書】で興味深いテーマが取り上げられていたので、載せてみました。このシリーズはいろんな方からの質問に答える形で話が展開されています。今回は載せた分は「ホームレスの状態にある方も、神の計画なのか?」という質問に答える内容です。

中川師の見解は以下のとおりです。

1.それは神の計画ではない

本人の選択の結果である可能性がある。

2.神の計画と言えなくはない

神が許容されているという意味で。

3.祝福に変わる可能性を有している

試練は神からの招待状。試練は私たちを神に近づける。

私も同じテーマで、違った角度からの見解を述べてみたいと思います。

1.ホームレスだからと言って不幸せとは限らない。

質問者はホームレスは不幸だという前提で質問をされているようです。イエス様のたとえ話の中にはラザロという男が登場してきます。おそらくホームレスではなかったかと思われる彼は、極貧だっただけでなく、全身皮膚病で、唯一の友達は彼のできものを舐めに来る野良犬でした。彼は人生の最後に至るまで、人の目にはみじめな人生を送りますが、天国へ行くのです。一方、同じたとえ話に登場する金持ちは、この世を謳歌し、誰もが羨むような人生を送りますが、地獄へ落ちます。どちらが神の救いの計画の中に選ばれていたかは明らかですよね。

2.神の計画は私たちが霊肉両面において健やかであること

貧さにあることや、病んでいることが神の御心というわけではありません。神の御心は私たちが霊肉ともに健やかであることです。私たちが精神的に物質的に豊かであることは神の望まれるところなのです。ですから、神は最終的に私たちをそのような状態へ導くご計画をお持ちです。しかし、それが今現在の地上において実現するかというと、そうではありません。それが完全な形で実現するのは新天新地においてです。この地上でその一部を経験できる人もいるでしょうが、さらに豊かな祝福を新天新地で得るために、その過程としてこの地上では極貧の中に一生を終える人もおられるでしょう。

3.人間は神様の計画の全てを人間は理解できない。

あの人はどうなんですか?この人はどうなんですか?私たちは他人のことが気になることがあるかもしれません。しかし、神は言われます。「あの人がどうとか、この人がどうとか、それはあなたには関係ありません。あなたは私に従いなさい」。人間は神様のご計画を完全に見極めることはできません。また、他人に対する神の計画を知ったとろで、それは、あなたの人生になんの関係もありません。もし、自分自身が神の祝福のご計画を信じ、その中にとどまらなければ何の意味もないのです。逆に、今どのような状態であったとしても、私たちは神の言葉に従うことによって神の祝福のご計画の中に生きることができるのです。

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