※大きいサイズはこちらからご覧になれます⇒救いの3つの過程(段階)

「救い」という言葉は様々な場面で用いられますが、それらが全て同じ意味内容を指すわけではありません。

多くの場合「病気が癒やされた」とか「心に平安が与えられた」とか「経済的に祝福された」などという意味合いで「救い」という言葉が用いられているようです。

ある人が「私は◯◯をして救われました」と言っても、それがキリスト教の「救い」と同じであるとことはほぼないでしょう。

キリスト教における「救い」の根源的意味は「創造主(神)との関係の回復」です。

しかし、ここで気をつけなければならないのは「救いの完成(完全な回復)」に至るまでには新生(しんせい)」「聖化(せいか)」「栄化(えいか)」という3つの過程があるということです。

ですから「救い」という言葉が出てきても、それが果たして「新生」を指しているのか「聖化」を指しているのか「栄化」を指しているのか、それら全てを指しているのか、それとも他の意味内容を指しているのか?ということを理解しながら聖書を読まないと混乱するでしょう。

たとえば、聖書を読んでいる中で、あるところではクリスチャンの「救い」はすでに達成されたように書かれているのに、あるところではまだ達成されていないかのように書かれているし、これは一体どういうことだろう?というふうにです。

「新生」「聖化」「栄化」の3つの過程(段階)における「救い」を理解すれば、このような問題もすっきり解決するかと思います。

「新生」という意味での「救い」であるならば、私たちはすでに「救われました」。これはクリスチャンにとっては過去の出来事です。

「聖化」という意味での「救い」であるならば、私たちは今「救われつつあります」。これは現在進行の出来事です。私たちは主の様々な訓練をとおして聖められつつあるのです。

「栄化」という意味での「救い」であるならば、私たちはその実現を期待して「救われます」と告白します。これは未来に起こる出来事です。

もちろん、これだけで「救い」について完全に説明できるわけではありませんが、上記図解が私たちがクリスチャンに与えられている「救い」についての理解の一助となれば幸いです。

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