日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2017年12月

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  マリヤは男の子を生みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、 ご自分の民をその罪から救ってくださる方です(マタイ1:21)

1.違反としての「罪」からの救い

  罪とは律法に逆らうことなのです。(Ⅰヨハネ3:4)
 創造主なる神が定められたルールに違反すること。それが「罪」であると聖書は教えます。ルールに違反すれば当然のことながらそこにはペナルティが伴います。交通ルールの違反でしたら、罰金で済む場合がほとんどかもしれません。しかし、神のルールに違反すれば、永遠の滅び(地獄)という刑罰が伴うのです。イエス様はその刑罰から私たちを救うために十字架において血の代価を払われたのです。

2.性質としての「罪」からの救い

 もし、私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。(ローマ7:20)
   ここで言及されている「罪」は違反行為に至らしめる「性質としての罪」です。それは良いことよりも、悪いことをしてしまいやすい人間の傾向と言えるでしょう。イエス様は御霊(聖霊)によって歩む時に、そのような傾向から解放されることを教えられました(ガラテヤ5:16)。その聖霊を与えるためにイエス様は死より復活し、天に昇られたのです。

3.状態としての「罪」からの救い

 それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。(詩篇73:27)
 なぜ人間は「罪の性質」を持っているのでしょう。それは創造主なる神から離れてしまったからです。「罪」はギリシャ語の原意では「的外れ(ハマルティア)」。本来、神と共に歩む存在として造られた人間が、神から離れて歩んでいる状態、これこそが「罪」の根本です。神と離れている状態では、私たちの霊の性質は弱り、肉の性質が優位になります。それが「罪を犯しやすい傾向」として表面化するのです。キリストの十字架はそんな私たちと神とを再び結び合わせるのです。

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