日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2017年08月

テキスト@ローマ1章1~7節

 御子は・・・聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ人への手紙1章3~4節)

 イエス様ご自身は公生涯の中で、自らの受難と死、そして三日後の復活について明言されましたが、旧約聖書のキリストの復活に関する預言(予言)は暗示的でした。

1.詩歌の一節として

 まことに、あなたは私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せになりません。(詩篇16:10)
 この箇所だけを見ると、これがメシヤの復活預言であるとは全く分かりませんが、使徒の働きにおいてはペテロや(使徒2:25)パウロ(使徒13:35)によって、この箇所がイエス様の復活を預言していることが明示されています。

2.預言者の経験をとおして

 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。(マタイ12章40節)
 イエス様ご自身、預言者ヨナの身に起こったとされる出来事が、イエスの死と復活を暗示する出来事であったことを示唆されました。大魚の腹から出た(復活を暗示)ヨナの預言によってニネベは救われたのです。

3.聖書全体をとおして

 イエスは・・・聖書全体の中で、ご自分について書いてある事柄を彼らに説き明かされた(ルカ24章27節)
 旧約聖書において「復活」が明示的に預言されていない理由は分かりません。これはあくまでも推測ですが、サタンに人類救済計画の核となる部分を知らせないためだったのかもしれません。それはともかくとして、旧約聖書全体がキリストについて語っているとのこと。他にも旧約聖書の様々な記事の中にイエスの十字架と復活の預言が隠されているのかもしれません。

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使徒28章23~31節                           
パウロ一行がローマ入りして後、当地のユダヤ人共同体の主だった人々が集まって来てキリストの福音に耳を傾けました。その結果、ある人々はイエス様が救い主(キリスト)であるとの福音を信じましたが、ある人々はその福音を拒否しました。真理を聞いて信じることができる人、信じることができない人、悟ることができる人と、悟ることができない人の違いはどこにあるのでしょうか?                         

1.下僕の心(従順)

 だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります(ヨハネ7:17)
 神からの真理を見分けるために大切なことは「みこころを行いたい」という願いがあるかどうかです。知識や経験も大切ですが、それ以上に「しもべ」としての心構えが大切であることを忘れてはなりません。

2.弟子の心(献身)

 財産全部を捨てないでは・・・弟子になることはできません(ルカ14:33)
 イエス様はたとえ話をもって教えをなされましたが、弟子たちにはたとえ話に隠されている真理の全てを解き明かされました。「弟子の心」を持たなければ悟ることのできない真理があります。弟子とは真理のためならば全てを捨てる覚悟を持っている人のことです。

3.子供の心(謙遜)

 子どものように、自分を低くする者が天の御国で一番偉い(マタイ18:4)
 私たちは、ともすると「高慢になっており、何ひとつ悟らず・・・(Ⅰテモテ6:4)」という状態になってしまいがちです。「弟子の心(献身」)を持っていても、「しもべの心(従順)」を持っていても、そこに「高慢」のパン種が入ってしまうと霊的に盲目になるのです。私たちはいつも自らを低くする「子どもの心(謙遜)」を忘れないようにしましょう。

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