日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2017年06月

使徒25章13~27節

1.人生を支配される神

私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きて(ガラテヤ2:20)
 自分の人生は自分のものだと思ってはいないでしょうか?私たちの体さえもはや自分のものではないのに(1コリント6:19)私たちの人生が自分のものであるはずがありません。私たちの全ては神のものです。神は私たが与えられた「使命」を成し遂げることを望んでおられます。パウロはその使命を成し遂げるために捕縛されることを許され、ユダヤ人、そして王たちの前で証をし、ローマへと前進しようとしていました。

2.思いを支配される神

彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され(ローマ1:28)
 フェストはふとアグリッパ王をパウロに会わせようと思いました。そのことがキッカケでパウロは多くの身分の高い人たちの前で福音を語る機会を与えられるのです。神は時に「ふとした思い」の中に働かれることもあります。モルデカイが王からの名誉を与えられたのも、アハシュエロス王が寝付けない時にふと記録文書を読もうと思ったからでした(エステル6:1)。サタンもまた私たちの思いに働きかけます。油断は禁物です。

3.歴史を支配する神

わたしはすでに世に勝った(ヨハネ16:33)
 テキストに登場するアグリッパ王は幼子であるイエス様を葬り去ろうとしたヘロデ大王のひ孫、また使徒ヤコブを殺害したヘロデ王の息子です。しかし、アグリッパ王にはもはや福音に敵対する思いはありませんでした。私たちはここに福音を滅ぼそうとヘロデ王家の背後に働いていたサタンの勢力が衰退し、逆に福音を担ってローマへ向かおうとしているパウロの背後にある神の勢力が拡大している様を見出します。

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使徒24章24~27節

1.神の「時」を待つ

おそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない(ハバ2:3)
 パウロは「あなたは・・・ローマであかしをしなければならない」(使徒23:11)との神の言葉をはっきり聞きました。にも関わらず、パウロはそれから2年間勾留され続けます。なぜ、神は無駄とも思える2年の時を過ごさせたのでしょう。その明確な理由は記されていません。しかし、私たちはここから人間が考える「時」と神の「時」は全く異なることを知ることができます。私たちは「自分の時」ではなく「神の時」を待ち、「神の時」に備え、「神の時」に立ち上がるのです。

2.できることをする

この女は、自分にできることをしたのです(マルコ14:8)
 パウロは勾留中ではありましたが、ある程度の自由は与えられていました。パウロの性格上、その間、宣教のためには何もしていなかったとは考えられません。いわゆる獄中書簡がこの時期に書かれたかどうかは定かではありませんが、パウロは聖書には納められなかったであろう数々の文書を通して宣教の働きに従事したり、訪ねてくる人の相談にのったり、指導に当っていたことでしょう。できないことではなく、今、自分が置かれているところで、できることを忠実にしていきましょう。

3.賛美する

ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです(Ⅱ歴代誌20:12)
「できることをする」とは言うものの、場合によっては具体的な何かをすることはできない状況に陥ることもあるかもしれません。パウロは足枷をされて牢屋に入れられたこともあります(使徒16章)。その時は手紙を書くことも、訪問者を励ますこともできませんでした。しかし、彼はそのところで神を賛美したのです。それが彼に勝利をもたらしました

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