日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2017年05月

使徒24章1~9節

1.パウロは強い影響力持っていた

ある人たちにとっては、死から出て、死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです(2コリント2:16)
 福音宣教に反対するユダヤ人たちは、パウロのことを強い感染力と高い致死率を持つ「ペスト」のような存在とみなしていました。その事実を肯定的に捉えるなら、彼は非常に強い影響力を持つ存在とみなされていたということです。私たちもまたこの世界において強い影響力を持つ存在となりたいと願います。私たちの存在が、人々を神のいのちへと導く、そのような存在としての強い影響力です。

2.パウロは妥協しなかった

わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです(マタイ10:34)
 強い影響力を持つためには「妥協」をしないことです。日本には「和をもって尊しとなす」という素晴らしい精神があります。しかし、それが悪い方向に向いてしまうと「真理」や「義」よりも人間的な「和」を優先してしまうことがあります。「義」や「真理」のためには私たちはあえて偽りの平和を乱さなければならないこともあるのです。

3.パウロはイエスを述べ伝えた

この方以外には、だれによっても救いはありません。(使徒4:12)
   イエス様だけが私たちが「救い」を得るための唯一の道です。この点において決して私たちは妥協してはなりません。そのめにも私たち自身が聖書が教える「救い」とは何か?ということを十分に理解する必要があります。聖書の「救い」の根源は創造主なる神との関係の回復です。

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使徒23章26~35節

1.ごまかしのない人生

ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて・・・(1ペテロ2:1)
 千人隊長のルシアが総督ペリクスに宛てた手紙の中にはちょっとした嘘がありました。なぜ、彼はそんなことをしたのでしょう。おそらく保身のため、また出世や報酬を期待してのことでしょう。なんでもないような嘘の中に私たちの人生観や価値観が反映されていることがあります。つい嘘をついてしまった時は自らの信仰を省みる機会としましょう。

2.神の摂理を信じる

ひとりの人が民に代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だ(ヨハネ11:50)
 時の大祭司カヤパのイエス様を殺すことが、自分たちにとって得策であるとの発言は、本人の意図とは別に、イエス様が全ての人を罪から救うために死ぬことの預言の言葉となっていたと聖書は記します。千人隊長は正義感や使命感ではなく保身のためにパウロを護衛したのですが、そこには創造主なる神の摂理があり、神ご自身がローマ兵をしてパウロを守られたのです。神はまた私たちをも守られるお方です。

3.この世に執着しない

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。(1ヨハネ2:15)
   千人隊長ルシアも、総督ペリクスもこの世での地位や名誉や財産に翻弄されていたことが伺えます。一方、パウロはこの世の全てを捨てて、ただ創造主なる神のみこころを行うことのみを求めていきました。パウロは鎖につながれていましたが、その心は自由でした。千人隊長や総督は地位や名誉も得ていたにも関わらず、その心は縛られていたのです。

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