日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2017年02月

使徒18:12-23

1.肉欲から切り離される

「もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。」(1ヨハネ2:15) 
 この世界には「人間を創造した神」と「人間の想像した神」との二種類の神しかいません。それと同じく、人間にも二種類しかいません。「神の心」に従って歩む人と「自分の心」に従って歩む人です。神を知らない人が自分の心に従って歩むのは仕方がないことです。しかし、神の御心を求めつつも、自分の「思い」に固執しているならば、そのような状態では、私達は決して神の御心を知ることはできません。パウロはこの世の全てを捨て、常に神の御心を思っていたからこそ、御心を正しく汲み取ることができたのです。
 

2.人を恐れない                          

「人を恐れるとわなにかかる。しかし、主に信頼する者は守られる」箴言29:25
 イエス様と同じく、パウロも人の顔色を伺うことはしませんでした。コリントで迫害された時もなおそこに留まって宣教を続けることができたのも、またエペソのクリスチャンがパウロに宣教のために長期滞在を要請した時、それを断ったのも、彼が人の顔色を見なかったからです。パウロは人の顔ではなく、ただ神の顔を見ていたのです。ゆえに、パウロは恐れに因われることも、人間の情に流されることもなく、神の御心を選び取っていくことができたのです。

3.忍耐する

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル10:36)
  私たちが神の御心を行う上で大事なのは「忍耐」であることを忘れてはなりません。その忍耐は「報いとして与えられるものから目を離さない」(ヘブル11:26)姿勢がないと続きません。しかし、その報いは天に属するものですから、地上のことばかり考えている人にとって、それは忍耐力を増す助けとはならないでしょう。

スポンサーリンク
このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
このエントリーをはてなブックマークに追加

使徒18:1-11

1.永遠のいのちを持つ民

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16) 
 「永遠のいのち」は聖書における重要なキーワードです。なぜなら、「永遠のいのち」こそが、私たち人間の最も深刻な問題「永遠の死」(第二の死*黙20:14他)に対する唯一の解決策だからです。私たち人間は誰もが漠然とした「死の恐怖につながれている」(ヘブル2:15)状態にありますが、イエス様はそのような私達に「永遠のいのち」への希望を与え、その死の恐怖から解放するために来られたのです。  

2.神によって選ばれた民    

「神は私たちを世界の基のおかれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました」(エペソ1:4)
 私たちはイエス・キリストを信じて創造主なる神との関係を回復するように選ばれた存在であると聖書は教えます。しかし、この事実に甘んじてはいけません。それは次のユダの手紙の言葉にあるとおりです。「私はあなたがたに思い出させたいことがあるのです。それは主が、民をエジプトの地から救い出し、次に、信じない人々を滅ぼされたということです。」(ユダ1:5)選びの民からのさらなる選びがあるのです。

3.真理に属する民

「わたしは真理の証をするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」(ヨハネ18:37)
   真理を求める人々はみなイエス・キリストのもとへ引き寄せられてきます。なぜなら、イエス様こそが真理なるお方だからです。クリスチャンである私たちも、常に真理がどこにあるか?ということに心を留めて生きていく時に、神の民として、神の栄光を現していくことができるのです。

スポンサーリンク
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ