日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2016年10月

パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した(使徒14:9-10)

パウロの説教を聞いている聴衆の中に先天性の障害で足が不自由な人がいました。パウロは彼を見た時に、彼のうちに「いやされる信仰」
があるのを見た」というのです。どのような信仰だったのでしょう?

1.御言葉に問題の解決を求める信仰

説教中に居眠りをしている人、説教中にスマホを片手にゲームをしている人、説教中に早く終わらないかと時計をチラチラ見ている人に果たして「いやされる信仰(救われる信仰)」を見ることができるでしょうか?御言葉にこそ、全ての問題の解決があることを信じて一生懸命に耳を傾ける人のうちにこそ、神は「いやされる信仰」を見出すことができるのではないでしょうか?

2.問題の解決を渇望する信仰

ベテスダの池は「癒やしの奇跡」が起こると信じられていた場所で、その他にも病気の人がたくさん居ましたが、イエス様は38年の間病で臥せっている男性に目を留め彼を癒やされました(ヨハネ5:1~)。その理由は何でしょう。それは彼の「神による癒やし」を信じ続けた姿勢にあるのではないでしょうか?38年も癒やしを体験することがなかったら、とっくに昔にあきらめてもおかしくないわけです。しかし、彼は諦めなかった。癒やしに対する渇望があったのです。

3.問題解決のために神の言葉に従う信仰

最後に「癒される信仰」の最重要部分は神の言葉に従うことです。ナアマン将軍は癒やしに関しては半信半疑でしたが、しかし、エリシャをとおして語られた言葉に従った時に癒やしが起こりました。あなたも神の言葉に従う時に癒やしを救いを解放を体験するのです。

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説教者:高森恒喜 牧師
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テキスト~使徒の働き14:1-7

ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。(使徒の働き14章4節)


1.自分の教えや考えを守るため

キリスト教は初めユダヤ人によって迫害をされましたが、彼らがキリスト教を迫害した理由は、キリスト教がユダヤ教の異端であると考えたからです。異端は滅びもたらすものですから排除するのは彼らにとっては当然のことでした。彼らは正義感から迫害をしたのです。現代日本においても自らの宗教や信条、思想に立ってキリスト教を攻撃してくる人がいます。しかし、彼らの多くは真理を求めているために、キリスト教のうちに真理があることが分かれば素直にキリスト者となり、さらには熱心なキリスト者となる期待を持つことができます。

2.自分の生活や安全を守るため

キリスト教が自分たちの生活や安全を脅かすのではないか?と危惧して反対する人々もいます。エペソで神殿で模型等を作っていた職人たちが偶像礼拝を否定するキリスト教に激しく抵抗したことが使徒の働きに記録されています。今も他宗教の聖職者やそれに関わることで利益を得ている人々はキリスト教に反対するでしょう。また宗教を十把一絡げに怪しいと思う人々は漠たる不安の内にキリスト教に反対するでしょう。私たちはキリスト教は真の意味で私たちの生活を豊かにし、平和を与えるものであることを伝える必要があります。

3.自分の誇りや立場を守るため

自分たちの教えや、自分たちの生活を守るのとは別の理由でキリスト教に反対した人々がいました。彼らはキリスト教によって自らの誇りや、自らの立場が傷つけられたと感じたのです。たとえば財産や学歴に自らの価値を見出している人々は、聖書がそれらの価値観を否定することに抵抗を感じることでしょう。そのような方々が目に見えるものではなく、目に見えない者に目を留めることができるよう、とりなしの祈りが大切になります。

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