日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2016年08月

                 

1.神の声に反応する

サムエルは、神の箱の安置されている主の宮で寝ていた(Ⅰサムエル3:3)

  神の声に反応することができる状態。それが神の前に生きている状態と言えるでしょう。少年サムエルは語りかける声が神からのものであることに気づきませんでしたが、神の声には反応することができました。それは彼が常に「神の臨在」を象徴する神の箱の安置される主の宮で起き伏ししていたからではないでしょうか?私たちは神の臨在の溢れる場所で日々を過ごしているでしょうか?新約の時代においては私たち自身が「神の宮」です。私たちの内を御言葉で満たし、賛美で満たし、祈りで満たしていく時に、私たちは神の声に敏感に反応することができるようになるのです。神の前に生きた存在となるのです。

2.神の声に聞く

お話ください。しもべは聞いております(Ⅰサムエル3:10)

私たちは主の言葉に従っているでしょうか?都合のいいことは従うけど、都合の悪いことは従わないということはないでしょうか?私たちは神様との関係において、確かに父と子という関係に入れられました。しかし、それは神との関係において、主人としもべという関係が失われたことを意味するわけではありません。私たちは「子」としての身分を受けた神の「しもべ」なのです。これまでも、そして、これからも、永遠に。

3.神の声に従う

ここに、私がおります。私を遣わしてください(イザヤ6:8)

私たちは神の用いられる「道具」です。道具とは「道を具(そな)える」と書きます。私たちの道具としての働きは「神の来られる道をまっすぐにする」という働きです。どんなにすぐれた技術を持った職人でも道具がなければ仕事はできません。 同じように、神の人類を救済する計画は、クリスチャンという「道具」なしに進めることはできないようになっています。神の「道具」として自らを捧げましょう。

                                      (説教者 高森恒喜牧師)

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「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。(使徒の働き11章18節)

1.啓示の漸進性(累進性)

神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。(ヘブル1:1-2)  

創造主は真理を人類に啓示される際、初めから全てを明らかにされるのではなく、順を追って明らかにされて来られました。たとえば、神がモーセにご自身を現わされた時、アブラハムには「全能の神」としてご自身を啓示しましたが「主(私は在る)」という名では啓示しなかったと言われています(出6:3)。つまりモーセの時代にはそれ以前の時代よりも真理がより明らかにされた、増し加えられたということです。

2.啓示を理解する能力の必要性

「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです」(マタイ25:29)  

神の真理が次第に明らかにされて言っても、それを聞く側の理解が深まらなければ意味がありません。もし「10」の啓示があったとしても、私たちの側に「1」理解できる能力しかなかったら、それは「1」しか啓示されていないのと同じです。だからこそ、私たちは「聞く耳」を持つ必要があるのです。「主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えて下さいます」(2テモテ2:7)

3.学んで確信したところに

「学んで確信したところにとどまっていなさい」(2テモテ3:14)


地上において私たちの真理に関する理解が「完全」になることはないかもしれません。しかし、だからと言って完全に理解するまで何もできないということではありません。今、達している理解に従って行動を起こすことが大切です。実際アポロという伝道者は福音理解は十分ではありませんでしたが、素晴らしい働きをしていました。(使徒18:25)

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