日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2016年07月

ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった(使徒10章44節)
 

神がペテロをコルネリオのもとに遣わした最大の目的は何だったのか?それは彼らに「聖霊」を授けることでした。神が私たちに一番与えたいと願っておられる賜物は「聖霊」です。なぜ聖霊が必要なのかを学び、ますます熱心に聖霊を求める者となりましょう。

1.私たちは聖霊の宮として造られている


「あなたがたのからだは・・・聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」(Ⅰコリント6:19)
 私たちのからだは神の霊である「聖霊」が住まわれる神殿として造られました。「聖霊」が内住している状態が私たちの本来の姿なのです。ですから、私たちが「聖霊」以外の何かで自らの心を満たそうとしても、それらは決して真の満足を与えることはできません。

2.聖霊が私たちを導く


「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません・・・御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」(Ⅰコリント2:14)
 たとえば、聖書は神の言葉ですから、「聖霊」の導きによって読まなければ、そこから本来私達が聞くべき神からのメッセージを受け取ることはできません。ですから、聖書のことをよく知っていても、神様のことを信じない人もいるのです。

3.聖霊が私たちを新しく造り変える


「私たちはみな・・・栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これは・・・御霊なる主の働きによるのです。」(Ⅱコリント3:18)
「聖霊」は単に内住されるだけでなく、私たちの真の人間性を回復してくださるのです。私たち人間は「神の形に似せて」造られました。それはキリストに似る者として創造されたということです。

                                        (説教者 高森恒喜師)

2016.07.24礼拝説教要約

スポンサーリンク
このエントリーをはてなブックマークに追加

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神の前に祈りをしていた(使徒10章2節)

1.真理を求める


 コルネリオは異邦人であり、しかもローマ軍の百人隊長。ユダヤ教に入信することは簡単なことではありません。なぜなら、ユダヤ教の教えでは異邦人は「けがれたもの」と見なされるからです。彼はそのことを百も承知の上で入信したのです。なぜなら、聖書にこそ真理があったからです。彼は真理のためにはつまらないプライドにこだわりませんでした。彼は事の表面的な部分ではなく物事の本質を見ることのできる人でした。
 

2.教えを実践する


 彼はみことばをただ聞くだけではなく実践する人でした(ヤコブ1:22)。「正しい人は与えて惜しまない」(箴言21:26)とあるとおり、ユダヤの貧しい人々に多くの施しをしていたのです。彼は「行い」をとおして自らの信仰を表明したのです。もし、私たちが人に何かを与えることを惜しんでいるとすれば、なによりも神に捧げることを惜しんでいるとすれば、自らの信仰を吟味する必要があるでしょう。私たちの信仰は「行い」が伴わなければ死んでいるのです(ヤコブ2:26)。

3.礼拝を優先する


 彼は「いつも神に祈りをしていた」人でした。定期的に祈りを捧げていたという以上に、常にその思いを神に向けていた人であったのではないでしょうか?ローマの百人隊長として忙しい身であったと思われますが、その中で何よりも神への礼拝を優先し、神との親しい交わりを十分に持ったのです。あなたは日々の生活の中で十分に神様との交わりの時間を持っていますか?神との交わりの時間を何よりも優先していますか?信仰生活の豊かさはそこにかかっているのです。

説教奉仕:高森恒喜牧師

2016.7.17礼拝説教要約

スポンサーリンク
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ