日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2016年05月

ステパノは、恵みと力に満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。(使徒の働き7章8節)

1.信徒の働きの重要性 

 ステパノは使徒たちが礼拝と宣教の働きに専念できるようにと選ばれた7人のうちのひとりでした。記事からは彼自身も宣教の働きに大いに用いられた様子が伺えます。彼はいわゆる信徒伝道者です。実際、初代教会の働きは彼のような信徒伝道者によって支えられていました。「使徒の働き」では使徒ペテロや使徒パウロの働きがメインに描かれているので信徒による働きが目立ちませんが、実際はその何十倍、何百倍の働きが信徒の手をとおしてなされていったのです。

2.反対者の出現

 神はステパノをとおして大いなる御業を行われました。それにリベルテンと呼ばれる会堂(シナゴク)に属する人々が対抗してきたのです。リベルテンとは「自由を得た者」という意味。紀元63年にローマによるユダヤ征服時に奴隷となって連行された人々の中で解放されエルサレムに戻って来た人々がこの会堂を建て上げたことに由来します。しかし、「自由を得た者」と称する人々が「真の自由を与える者」に対抗してくるとは皮肉なことです。「御霊による自由」を与える働きには必ず「肉による束縛」の力が対抗してくるのです。

3.御霊の力によって 

 ステパノはおそらく記録されているよりも長い説教をしたことと思われます。しかし、その説教の結論は「あなたがたは・・・いつも聖霊に逆らっている」(使徒7:51)という一言に尽きます。リベルテンの人々にとっては心外なことだったでしょう。しかし「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう」(ガラテヤ5:17)という霊的な原則からすれば、彼らは「肉」の中にあり礼拝や律法の本質的部分については理解できていませんでした。

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私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします・・・こうして神のみことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。(使徒の働き6章4節)

1.教会の中心は礼拝


真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(ヨハネの福音書4章23節)


 私たちは何はさておき礼拝を第一にしなければなりません。なぜなら、神ご自身がそれを求めておられるからであり、なによりも、私たちは神を礼拝するために創造されているからです。福音伝道も大切です。聖書教育も大切です。しかし、礼拝が疎かになれば、宣教の働きも祝福されません。私達は礼拝をとおして信仰と聖霊と知恵と力とに満たされ出て行って福音を宣べ伝え、また弟子として教えられ育まれるのです。

2.教会の中心は福音宣伝


それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出ていき、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコの福音書16章15節)


 教会に与えられている使命は「やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを宣べ伝えるため」(1ペテロ2:9)です。私たちはためになる話や、おもしろい話、政治の話をするために選ばれたのではありません。イエス・キリストの十字架と復活の証人となるために選ばれ、訓練され、遣わされるのです。

3.教会の中心は弟子教育(聖書教育)


あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい・・・わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。(マタイの福音書28:20)

 「キリストの福音によって救われた人」は「キリストの福音にふさわしい人」になることが求められます。私達はクリスチャンになって終わりではなく、クリスチャンになることによって、日々イエス・キリストの似姿へと変えられていく、生涯をかけての学びと訓練の中に入るのです。 スポンサーリンク
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牧師:高森恒喜
ライブ配信の録画です。映像や音声等乱れ等ありますので、ご了承ください。
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