日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

2016年04月

神は私たちの霊的な成長を望まれています。しかし、私たちの信仰が健全でなければ、成長することはできません。自らの信仰を吟味することが必要です。

1.神に関心を持っていますか?

私たちの興味関心は何よりも神ご自身に向けられているでしょうか?もし、神に、そのみことばに無関心であるならばそれは健全な信仰の状態ではありません。神は私たちに「起きよ、光をはなて・・・」(イザヤ60:1-3)と命じられています。そのためには「主を知ることを切に追い求め」(ホセア6:3)なければなりません。その時に、私たちの霊的な目は覚まされ、地の塩、世の光として神と人とに役立つものとなれるのです。

2.神に対する健全な恐れを抱いていますか?

「神を恐れよ、神の命令を守れ」(伝道者12:13-14)と聖書は教えます。なぜ、私たちは創造主なる神を恐れなければならないのでしょう。それは神こそが「ゲヘナ(地獄)に投げ込む権威を持つ方」(ルカ12:4-5)だからです。人間は一度死ぬことと、裁きを受けることが定まっています。私たちのすべての罪があきらかにされる時が必ず来ます。心の中の「すみずみまで探り・・・動機まで読み取る《リビングバイブル》」(エレミヤ17:10)神の前に立つ日が来ることを忘れてはなりません。

3.神の戒めを軽んじていませんか?

神が私たちに与えておられる最も大切な戒めは「互いに愛し合うこと」(1ヨハネ3:23)です。「多くの人の愛が冷たくなる」(マタイ24:12)今日であるからこそ、私たちは偽りのない愛を持ち、人々に心からの敬愛の念を抱く者となりたいのです。(ローマ12:9-10)。そのためにも自分を義とする心は完全に捨てる必要があります。そこからは憎しみが生まれるからです。憎しみは信仰の成長を妨げます。愛するとは、好きとか嫌いという感情ではありません。神の言葉にただ従うことです。私たちは「口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって」(1ヨハネ3:18)神と人とに仕える者として成長していこうではありませんか。

説教者:高森真理子牧師

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説教者:高森真理子

*ライブ配信の録画です。音声や映像に乱れがある場合があります。

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宣教が祝福された理由

 使徒たちの宣教の働きが成功したのは「人に従うより、神に従う」(使徒5:29)信仰の姿勢を貫きとおしたからです。
「人を恐れるとわなにかかる」(箴言29:25)とあるように、もし、私たちが「恐れ」にとらわれてしまうならばサウル王のようにサタンの罠に陥ってしまうでしょう。

サウル王の失敗

「こうして彼は全焼のいけにえを捧げた」(1サムエル13: 9)
これだけを見るとサウルが悪いことをしたようには見えません。しかし、彼の行為は「人への恐れ」がその動機となった越権行為でした。その後のサムエルの詰問に対するサウル王の言い訳がましい姿も見苦しいものです。結局、彼は過ちを繰り返します。
 「サウルと彼の民は・・・最も良いものを惜しみ、これらを聖絶するのを好まず、ただつまらない値打ちのないものだけを聖絶」(1サムエル15:9)するのです。
 彼らは神の命令を忠実には実行しませんでした。この時はサウル王は言い訳をせず、正直に「私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです」(1サムエル15:24)と自らの過ちを認めたのは良かったのですが、「私の面目を立ててください」(1サムエル15:30)とサムエルに泣きつくのです。
 私たちはそこに真の悔い改めを見ることはできません。彼は結局のところ神の栄光ではなく、自分の見栄を大切にする人だったのです。

ダビデ王の成功

 しかし、サウル王の後を継ぐことになったダビデ王はそうではありませんでした。彼は見栄や体裁で動くことはありませんでした。まわりの人が恥ずかしいと思うぐらいに神に対する愛を表現し「私は主の前で喜び踊るのだ」(2サムエル6:21)と言いました。彼が自分の栄光ではなく、神の栄光を求めていた人であったことは明らかです。
 彼を含めた部隊の人々の妻子たちが、敵の略奪隊にさらわれ、窮地に陥った時、彼は「神、主によって奮い立」(1サムエル30:6)ちました。彼は「恐れ」に基づいて行動しなかったのです。
 戦利品をを分け合う際も、力のある人々の意見に耳を優先するのではなく、神のみこころに沿う決断をし、弱さのゆえに脱落した兵にも適切な配慮をします。彼は恐れにとらわれて人に従うのではなく、ただ神にのみ従い続けることを選びとりました。神はダビデを愛され、祝福されました。

(説教者:高森恒喜)

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