日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

テキスト@1テサロニケ5:22節他               

1.どんな小さな「悪」でも避ける

 悪はどんな悪でも避けなさい(Ⅰテサロニケ5:22)
 これぐらいだったらいいだろう。そう思って、クリスチャン生活の中で放置している罪が命取りになることがあります。たとえば「酒に酔う」ことは罪であると明示されていますが、その教えを軽んじていたらどうでしょう。1年365日のうち364日酔っていなかったとしても、残りの1日酒に酔っていたがために、取り返しのつかない過ちをしてしまうこともあるのです。

2.指導者の権威を認める

 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい(ヘブル13:17)
 目に見える指導者に従えない人は、目に見えない神に従うことはできません。目に見える指導者を敬えない人は、目に見えない神を敬うことはできません。指導者に対する姿勢はそのまま、その人の信仰に反映されます。「従う」ことこそ、指導者の権威を認め、それにふさわしい敬意を払うことです。

3.自らの過ちを認める

 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません(Ⅰヨハネ1:8)
 「自分は悪くない」という思い。これは信仰の成長を妨げる実に厄介な代物です。「自分は悪くない」という思いを持ち続けている限り、自分の中にある罪、過ちに目を向けることができません。真の悔い改めに導かれないのです。サタンは私たちが真の悔い改めに導かれないように「あなたは全然悪くないよ」と語りかけて来ます。素直に自らの過ちを認める「謙遜」を身に着けましょう。

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テキスト@ローマ5:12~21節

1.キリストの「予表」としての「アダム」(12~14)

 アダムはきたるべき方のひな型です(ローマ5:14)
 パウロはまず「アダム」が「イエス・キリスト」の「予表(ひな型)」であることを示そうとします。どのような意味での予表かというと「その人ひとりの行為によって全人類に影響が及ぶ存在」としての予表です。それを証明するために「肉体の死」の原因について言及し、「肉体の死」は個々人の罪の結果としての罰ではなく「アダムの罪」のゆえに全人類が「肉体の死」を経験することを述べるのです。

2.キリストによって全人類に与えられたもの(15~19)

 神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物(ローマ5:16)
 「全人類に影響を与える存在」という点においては、アダムとイエス様は共通しています。しかし、実際に与える影響は対照的です。パウロはそれらを対比させながら、イエス・キリストによって与えられた神の賜物の素晴らしさを語ります。アダムはその不従順によって人類に「さばき」と「罪」と「死」をもたらしましたが、キリストはその従順によって人類に「恵み」と「義」と「命」をもたらしました。

3.恵みに満ち溢れた人生(20~21)

 罪の増し加わるところには、恵みも満ち溢れました(ローマ5:18)
 「律法」が明示された結果、この世界は「罪(違反)」が満ち溢れるようになりました。しかし、そこにキリストの「恵み」が入ることにより「義」が満ち溢れるようになったのです。ほとんどが黒石で支配されているオセロの盤面が、一つの白石が打ち込まれることによって、どんどんとその盤面が白くなっていくように、私たちの黒く汚れた心は恵みにより日々清くされるのです。

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