日南チャペル(イエス・キリスト宮崎福音教会)

宮崎県日南市星倉2丁目にあるキリスト教の集会所です。「聖日礼拝」毎週日曜日午前10:45~12:00。「家の集会」随時。お問い合わせ:0987-25-5226

テキスト@ローマ6章1~23節 

1.聖書における「死」とは何か?「生」とは何か?

 彼女が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとする時(創世記35:18)
 「罪に死に、神に生きる」ことを理解するためには、聖書における「死」とは何か?「生」とは何か?ということについて正しく理解する必要があります。たとえば「肉体の死」について考えてみましょう。一般的には「生命活動の停止」を「死」と捉えるでしょう。しかし、聖書における「死」は肉体と霊魂の「分離」です。それとは逆に「生」は肉体と霊魂の「結合」です(創世記2:7)。

2.罪に死ぬとは?

 ・・・私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される(詩篇103:12)
 聖書において「死」とは「分離」であることを学びました。従って「罪に死ぬ」とは「罪から分離する」ことになります。イエス様は十字架の贖いのみわざにより、私たちを「罪」から完全に切り離して下さいました。どのようにしてでしょう?それは「律法の下」から連れ出し「恵みの下」に置くことによってです。

3.神に生きるとは?

 この息子は死んでいたのが生き返り・・・(ルカ15:32)
 イエス様の譬え話しに登場する放蕩息子は実際に死んでいたわけではありませんが、父親は「死んでいたのが生き返った」と言いました。父親を父親として認めず出ていった息子が、自分の素行を反省し、父親のところに帰り、正しい親子関係になったことを「生き返った」と表現したわけです。私たちもイエス様と「結合」し創造主なる神との正しい関係へと導かれる時、神の目に「生きた」者となるのです。

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テキスト@ローマ12章2節 説教者 高森恒喜牧師

1.聖書的「世界観」

 初めに、神が天と地を創造した(創世記1:1)
 全ての人が次のどちらかの世界観を有しています。一つは、世界には存在する意味も目的もない、という世界観。あと一つは、世界には存在する意味と目的があるという世界観です。前者を代表する論としては「進化論」、後者を代表する論としては「創造論」があげられるでしょう。もし、人生の意味と目的を知りたいと願うならば、創造論に代表される世界観を持たなければなりません。

2.聖書的「人生観」

 もし生きるなら、主のために・・・死ぬなら主のために・・・(ローマ14:8)
 この世界が偶然(進化)の産物ではなく、必然(創造)の産物であることに確信を得ることができるなら、人生にも意味や目的があることに確信を持つことができるようになるでしょう。人生の意味と目的を知る最善の手段は、私たちを創造された神に尋ねることです。どのようにして、神に尋ねるのでしょう?それは、聖書を学ぶことによってです。

3.聖書的「価値観」

 見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます(Ⅱコリント4:18)
 聖書は私達に「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」(コロサイ3:2)と教えています。地上のものとしては「不品行、汚れ、情欲、悪い欲、むさぼり」(コロサイ3:5)「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」(1ヨハネ2:16)などがあります。人間は自分の欲望を満たすことによっては、決して幸せにはなれません。幸せは神のみ心に生きる人が味わうものです。

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